静音の小径

アクセスカウンタ

zoom RSS 意味なき別解をもとめて

<<   作成日時 : 2010/07/08 22:52   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 27

画像


二つの職場を毎日
メドレーで走っている

それでも心にゆとりをもって
授業がしたい

そのために準備は万端に
時間はゆとりをもって
カメラも携帯しよう

さっきまで晴れていた空が
あれあれ
雲がどんどんくっつきはじめたよ



空を見ながら
心はタイムスリップ

画像 わたしがはじめて
 生徒の前に立った時代

 68年の指導要領の改訂で
 教育の現代化が叫ばれていた

 新卒のわたしは移行中のため
 教科書にない
 大学で学んだばかりの
 あたらしい数学を教えた




それから不登校の生徒がでる
受験競争がいけない
落ちこぼれだの
いや落ちこぼしだのという時代になった


80年代から大幅に教育課程が変えられた
一単位時間が45分から50分になり
一週間に33コマあった授業時間が30コマになった

33×45=1485時間が
30×50=1500時間で同じだろうと

いえいえ同じではない
どの教科の時間を減らすかで
職場はいがみ合った

おまけに
ゆとりの時間というのが2コマできた

担任は
道徳・学活の他に
ゆとりの時間も
なにかしなければならない時間になった

担任は副担を恨むようになった
副担を差別することで
不公平感をごまかす教員も現れた

数学もコマ数が減った
それまでは「自主編成」といって
「何を教えるか」を研究会では議論していた
しかし、もうそんなゆとりもなくなった
画像
学校は荒れ
校内暴力という言葉が
新聞を賑わすようになった
金属バット事件に
象徴されるような家庭も増えた
家庭内暴力のはじまりだ

親たちは
高度経済成長の社会の歯車だった
しかし、まだ子どもたちは
シンナーや暴走族に走ることができた

まもなくそれが鎮圧されると
問題はいじめ、不登校と
次々と姿を変えていった

そして90年代
待ってましたと
学力不足問題が叫ばれるようになった

たしかに学力は落ちた
しかしそれはなぜか
きちんとした議論も現場ではなされず
一部学者という人たちが世論を煽っていった

あんなに待たれた21世紀
決して子どもの世紀にはならなかった

子どもたちは誰のものかわからない原っぱで
遊ぶこともできなくなった
空間も時間も子どもにはなかった・・・

画像

 と、とつぜん
 白昼夢を切り裂く鋭いオナガの声

 見上げると
 校門前の電線に・・・

 なぜかとても騒がしい
 校舎の周りの樹木にたくさんのオナガ
 そっか
 オナガの巣立ちの瞬間なんだ

 羽がまだきれいに揃わない雛が
 精一杯声をあげて親を呼んでいる



画像

 


どこまで話したかな・・・
そう、子どもたちの世界がどんどん
家庭の中のITに取り込まれていった時代だったね
携帯が生まれてからなにもかもが変わったね

もう親たちの見えない世界で生きるようになった
未熟なまま
大人たちの世界をのぞいた
それだけならまだしも
未熟なまま大人の世界で
子どもであることを
やめなければならなくなった

そりゃ学力も落ちるね
なぜ勉強しなければいけないかわからないのだから
勉強以外に楽しいことがいっぱいあるのだから


そんなこんなで
また2010年、指導要領が変わり
数学も移行教科書で教えることになった

今日は二次方程式の解の公式を教えた
もちろんこの10年間
わたしは教科書になくても教え続けていたのだけれど
今回はきちんと公式が使えるように演習もした
やっと生徒はわかったと顔をほころばせた
この瞬間がうれしい

本来子どもは学びことがすきだ
自分を高めることがすきだ
しっかり学ぶ時間を保障してあげればだが


画像 さあさあ
 次の職場に行かなきゃ
 この川を越えて
 蛇行した川に沿って
 南に走る
 もう以前の職場に
 向かうような土手はない

 それでも幹線道路を
 走るよりはいい





画像

もうひとつ今度は
線路とねじれの位置にある
橋を越える

ほら
学校がもう見えてきた
この時期、晴れたかと思うと
いきなり雨がぱらつくからいやだ




画像

 学校の前で
 自転車を止めると
 なんとここでも
 オナガが出迎えてくれる






画像



オナガはカラスの仲間だから
いやだって人もいる
しかし
この水色の燕尾服に
紺のベレー帽というのはさわやかだ




画像
 ふ〜ん
 こんなささやかな木でも
 一本もあれば
 鳥たちは生きられるのだね

 ドバトやヒヨドリが校門前の
 木の中にかくれんぼ






今日は
こちらの一年生は
おりこうさんにしてくれるかな
昨日
「君たちのためにだけ、先生はここに来るのだよ」
って言ったら
目を丸くしていたっけ

さあ、がんばろう
門を開けると
さわやかな風が
汗いっぱいの額をかすめていく




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 5
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス
かわいい

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(27件)

内 容 ニックネーム/日時
ののはなさんの記事を読んでいて、私は中学生くらいから数学が嫌いになってしまって本ばかり読んでいたことを思い出しました。
大人になって、数学的な考え方を少しでも深めておけばよかったと、思うようになりました。ののはなさんのような先生に教えていただきたかった。。
いま、教育の現場は厳しいでしょうけど、ののはなさんの言葉をまっすぐに受け止める生徒がいることはすばらしいですね〜♪
komichi
2010/07/08 23:20
私もkomichiさんのように数学が嫌いでした。小学生の頃から算数が苦手でした。多分、引き算のところでつまづいたと思います。今、教育テレビなどで数学のことを観ていると、面白いなぁ〜と思います。その頃、面白さに気がついていると、人生も変わっていたかもしれません。
湖のほとりから・・・
2010/07/09 11:43
教育者も、学校の掛け持ちで走って移動されているのですか?
生徒には「認知的学力」というか・・・できるだけ沢山暗記させて、スピーディーに解くことを求める学力の育成に主題が置かれているのでしょ。
相変わらず競争主義を求めているのでしょ。
色々な分化生活様式を持っている社会で通用するような問題解決型の全人格方学力を育てる方向には依然として目が向いていないのでしょう。
Tatehiko
2010/07/09 11:54
「教科の時間が削減され、ゆとりの時間も出来る中で、担任は副担を差別した」。これってもしかしたら特殊東京的現象かも。このときまでにすでに職場の教師集団が壊れていたのでは。僕はこういう現象には出会わなかった。つねに教師集団としてどう協力して生徒中心の学校を作るかだった。荒れた学校を再建するときも同じこと。どう教師集団を再建し生徒集団を形成するかだった。教科内の討論も盛んだった。総合学習だって学年として学校としてどう考えるかだった。担任だけにやらしたことはない。そこにはクラス担任も担任外もない。みんなの智恵をどう練り合わせるかだった。神奈川の組合は東京と異なって教委や校長と癒着したものだったが、すくなくとも職場の教師集団は政治とは一線を画して協同して教育に取り組んでいた。日の丸君が代には反対闘争はしないが、良い意味での労働組合主義だったと思います。これも私が体験した範囲での特殊私的環境だったのかもしれませんが。
コアラ
2010/07/09 15:57
おはようございます。
限られた環境でも生きているオナガ、ハト達の力づよさに元気がもらえます。
都会の川の上にのぞいた青空の美しさにも心うたれます。
私も数学が苦手中の苦手。この年になっても中学のときのつまずきがずーっと尾を引いて未だに数学のテスト場面の夢にうなされることもあるんですよ。
ののはなさんにであっていたら未だにうなされることなかったかもです・・・
(^_^;)
noriko
2010/07/10 08:17
◇komichiさん♪
数学っていうと苦手意識の大人が多いですね。日常生活の中で使う必要がないからわすれるのは当たり前。で、本屋さんにいくと大人向けの数学の本が出ている。???って思います。なぜ大人に今数学を解く意義があるのか。
わたしは中学生には「数学が不得意でもいい、嫌いにならないで」って言い続けてきた。数学ってたとえば方程式を解くことに意味があるのではない。それは受験でいい点を取れるからいいかもしれないけれど。それとは全く別の次元で数学って学ぶ意味がある。脳のことを勉強すればわかるのでしょう。数学だけが鍛えてくれるものがある。でわたしは自分自身あまり数学に向いていないって思う。しかし教師であるって別のこと。わたしのように頭が悪い人間の方が生徒がわかってくれないと、真剣に考えるし、指導法もあれこれ工夫するから、なまじ優等生よりいいと自負してきた。しかし今となってはどうだったのかなって思う。男性の怖い先生の時間の方が静かにしていていい生徒もいる。
ののはな
2010/07/10 22:48
◇湖のほとりから...さん♪
そうですか。きっと小学生のそのときにうまく成長に合わない教え方をされたのでしょうね。それが苦手意識を生んで・・・今に。でも数学をおもしろいと思えるのはいいですね。わたしにとっては数学は推理小説を読んでいるときのような俗世間を忘れられる瞬間をくれる教科でした。今は、教えなければいけない辛い教科かな。ときどき生徒から「先生はいいけれど・・・数学って教科が悪い」などと言われてがっくり。
ののはな
2010/07/10 22:53
中学一年の秋肺炎をやって2週間休んだら、英語と数学がチンプンカンプン・・・
それを取り戻そうとはしなかった・・・
私は負けず嫌いの反対です・・・(笑)
都立高校の試験は9科目、700点以上取らないと・・・
他の学科でカバーでしたね。

社会にでて、設計をしてみて、もう少し一生懸命やっておけばよかった・・・
でも、三角関数くらいちゃんと覚えれば何とかなる。
コンピュータになると、数値さえ入れれは・・・

そうして、人は堕落するのかもしれません。
自分が苦手だったせいか、数学のできる人は尊敬です。

色々な時代がありました。
そしてこれからの日本は・・・

弧などの選挙で、また、大変な時代になりそうですね。
オコジョ
2010/07/12 14:15
◇Tatehikoさん♪
こんばんは。学校にも非正規の教員がたくさんいます。その種類も様々です。わたしは退職後、再任用不合格になりました。それを決めるのは校長です。再任用なら給料が半分以下になり、仕事は今まで通りです。ちなみにそのときの校長は前年にその再任用の校長になった人で、わたしには愚痴をこぼしていました。もう学校とはおさらばと思って別の進路を決めようと思っていたのですが、どたんばで母が骨折をして入院をしたりで、結局決まらないまま退職したのですが。ま、同僚がわたしを特認講師として迎えたいと希望と出して、わたしは週に7時間3年生を教えに行っていました。で、今年からは非常勤講師として都の名簿に登載され、あちこちの学校からお声がかかったわけです。それで2校掛け持ちで仕事をしています。
若い講師の人たちはこれで暮らさなければならないので、多い人は夜学まで行って4校ぐらい掛け持ちしてやっと生活が成り立っているという有様です。1年契約なので非常に身分は不安定です。わたしのように来年いやなら契約なしでもいいと思っている人は言いたいように言えますが、多くの人は管理職にはぺこぺこです。もしその学校で職がなければ、管理職に紹介してもらって仕事を手に入れなければならないからです。

ののはな
2010/07/13 22:14
◇Tatehikoさん♪
続きです・・・{できるだけ沢山暗記させて、スピーディーに解くことを求める学力の育成に主題が置かれている}なんとも言えませんが、今のところ、若干教師には仕事の主体になれるところが残されています。教科書通りに教えるか、何かプラスするか、新たな教材を用意するか、それはその教師の力量です。ただ1年間で教科書1冊マスターさせて力をつけなければならないというのは、受験教科である限り、ついてまわる制約です。制約があるなかでどう授業を展開するか、力をどうつけるか、これってなかなか難しいけれど楽しい仕事です。数学は暗記主義では高校生になったとき落ちこぼれになります。ですから、根本からの理解が必須です。これを理解させるのも仕事です。
競争主義といっても、これだけ受験が多様化し、都では私立高校が多いので、線上に乗せる方がむずかしいでしょうね。で、生徒たちは進学先を選ぶのに一苦労しています。大学まで行きたい。しかし通勤距離が長いのはいや。自分の学力がちょっと足りないので、進学に力を入れていない学校しか選べないが、それじゃいやだし・・・と。今の時点でそのあたりまで自覚できている生徒はまだいいのですが・・・それで今日は夏休み中に、高校へたくさん出かけて、たいだいの進路先を決めておくようにと。
ののはな
2010/07/13 22:15
◇Tatehikoさん♪
さらに・・・{色々な文化生活様式を持っている社会で通用するような問題解決型の全人格方学力を育てる方向}・・・そうですね。中学生の段階でそれを求めるのは無理ではないでしょうか。自分をふりかえっても、そういうことをぼんやりと考え始めたのは、高校生です。中学時代はそうしたことを考える人になる基礎の学力をきちんとつける時でしょう。なにかことがあったときにはどんなリサーチをすればいいのか、そのための読み書きの能力。考えるための資料の仕込み段階。これも十分でないのにアウトプットしろって言われるから、インターネットで調べたことの丸写し。あるいはカット&ペースト。
わたしはもう一度義務教育での学力とはなにかきちんと考え直すべきだと思っています。数学は現実の問題を整理する思考力を育てる教科って思っています。あるいはまさに数学の問題を解くことで、問題解決の道筋を頭の中につくる訓練。
そういうけれど、アルゴリズムを覚えることで解に導こうって考えている教師が多いですね。わたしの教え方まだるっこしいと敬遠されるのはそこですね。で、最近はそのあたりのメリハリが上手になりました。ポイントを押さえた上で、原理原則を考えさせる。根本から理解させたい。
 教師もそんな風に育っていない人が増えているので大変です。長くなって・・・
ののはな
2010/07/13 22:16
◇コアラさん♪
>特殊東京的現象
そうなのでしょうか。担任、副担間の不公平さを是正するために、総合的学習の時間は全員でやるとなったのかと思っていました。で、結局、副担は長い間、担任の事務的な仕事をやらされるのが日常になっていたので、総合的学習もやらされるのでは、副担の仕事の分だけ多いと不服をいう人が現れました。しかし、一度副担の仕事と固定して押しつけていた仕事はもう担任はやり方を知らないという。しかし、ようやくパソコンが学校に入ってきた昨今は、事務的な仕事が副担というより、パソコンができる人に集中してしまい、そのあたりに不公平感を持つ人もいます。過渡期なのでしょうか。
>つねに教師集団としてどう協力して生徒中心の学校を作るかだった。
そうなんですよね。これが本来の教師の仕事。しかし、今そんなことを考えている教師がいるのでしょうか。もう十数年前にそう石原知事になってから東京ではそういった学校はなくなってしまったように思います。
今、東京の教師の世界から討論という言葉も消えています。職員会議もたくさんの資料が配られ、それを読み合わせ、いいかみんなわかっただろう、この通りにしろよ、って言われているような気がします。生徒たちへもそうなるのは当然ですね。
神奈川というのは昔からおもしろいところでしたよね。わたしが学生の頃、横浜独自の入試があったような。受けようかなって思ったりしたのですが。当時は目白にいたので、やはり近い埼玉を併願と。東京の教育がこんなに腐ったのは2000年あたりからかしら。
ののはな
2010/07/13 22:31
◇norikoさん♪
ほんとそうですね。今マスクをして自転車をこいで通勤です。空気が悪いです。そんな中、ほんのささやかな緑があれば生き延びているのが、都会の鳥たちです。空を見て過ごすことが多くなりました。それでも空がまだ見える下町でうれしいです。
>未だに数学のテスト場面の夢にうなされることもあるんですよ。
わかりますよ。数学ってそういう教科ですよね。笑っちゃいけません。わたしはミス○○って自称。なぜってよくミスするのです。で、「みんなに勇気を与えるためにわたしは生きている」っていうの。「こんなドジなわたしでも今日まで生き延びてきたのだから、あなたもだいじょうぶ」変かしら。
だれにでも苦手教科があるのでは、わたしは社会科は大嫌いで、いつも10点以下でした。笑われちゃうわね。覚える気がなかった。大人になってすごく後悔した。今でも家族によくからかわれる。○○ってどこにあるかわかる?って。えっ??地中海?残念・・・でも図々しく生きてます。
ののはな
2010/07/13 22:40
「副担は長い間、担任の事務的な仕事をやらされるのが日常になっていた」というあたりが僕には理解できない。何を押し付けられていたのだろう。僕は校長とぶつかって教師になって3年目から7年間副担。でも事務的仕事をやらされたことはない。生徒会指導担当とか学年生徒会指導担当。それに学年便り発行。48歳で担任を外れてからは、今度はいろんな分掌の主任。図書館と管理主任を兼ね、文化祭指導責任者・総合学習企画担当など。ずっと担任には担任にしかできない重要な任務があり、副担任には担任がないからこそできる重要な任務があると理解してきました。担任の補助が副担任だという考え方はすごく差別的だと思います。だから若い副担任はこき使われ、年配の副担任は蔑まれるのかな?
コアラ
2010/07/13 23:36
オナガってこんなにきれいな鳥だったのですね。
名前は知っていましたが初めてみました。

数学は中学までは得意科目でした。
高校に入り、難しくなるのと同時に授業のスピードが
中学とは比較にならないほどの早さになり、苦手科目になりました。
途中から頭を切り替えて得意科目だけを勉強するように
なりましたが、あの時数学に躓かなかったら
私の人生は変わっていたかもしれません。
私は教え方とか、努力の問題ではなく本人の脳の問題だと思いました。


hiro
2010/07/14 08:47
◇オコジョさん♪
2週間も休んだら完璧に浦島太郎状態ですよね。大変でしたね。わたしもオコジョさんと同世代なので、900点満点の試験でしたね。中学時代は勉強したことがなかったので、なかなか大変でした。
数学だけはなぜか勉強しなくてもわかった。しかし高校生になるとなかなか大変でした。富山県は7−3体制の受験でしたから、普通高校への受験は厳しく、クラスには浪人生がたくさんいましたね。中学浪人のための予備校もありましたね。で、高校は競争競争で明け暮れてうんざりしました。
東京へ来たのもそんな教育県がいやになった・・・
またまたマスコミに翻弄される選挙せしたね。翌日NHKに出ていた仙谷由人官房長官は流石、年配者、いいこと言ってました。説得力があって、そうだって思えました。今の時代なんでも結論を求めるのが早すぎます。コンピュータじゃないのだから、合意形成するには時間が必要です。
若い政治家の粗が見えるようになってきましたね。みんなの党にはあきれています。親が政治家だったから一応ものが言えるようですが、なんだか浅薄で哀しい。しかし若い人で支持政党なしの浮動票が流れたようですね。うちの息子も入れたらしく、嫁さんにバカ!って言われてました。自民党が拵えた900兆円もの借金。どうするつもりなんでしょうか。選挙に勝ったからと、谷垣さんはまるで関係がないみたいな顔してますが、一体こんなに日本をめちゃめちゃにしてくれてどうしてくれるのって自民党に言いたい。とにかく国民ももっと賢くならないと・・・金網の向こうで吠えるだけの犬になるのは簡単。ほんとうに日本をどうするのか、政党を越えてしっかり考えてよ!!
ののはな
2010/07/15 22:40
◇コアラさん♪
4月はまず、作成したり集める書類がたくさんありますね。生徒手帳の作成。健康診断関係の書類、教科書の申し込み名簿作成などなど・・・。テストの後処理。会計。学年便り。指導要録の作成。通知票の作成。これが3年生では受験関係の仕事もどっさり。学校回りはみんなで手分けしますが、その下資料作り。成績一覧表、調査票、家庭通知などなど。3年前、わたしが3年の副担の時は、母が倒れたときで、毎日1時間の介護休暇を取っていましたが、それでも時々仕事が追いつかなくて(家に持ち帰れないので)、6時過ぎまで仕事しました。3時から賃金カットの私だったのでサービス残業。昔よりはコンピューターのお陰で楽でしたが。個人的にやらされるのではなく、事務的な仕事は副担がやるのが当たり前ってなってます。
昔の担任は良識的な人が多かったので、3年の副担のとき、「書類はすべてこの先生が作ってくれるのだから、きちんと期限を守ってお願いしなさいね」って言ってくれたっけ。担任は子どもの前に立ち、副担は陰で書類書き。
>担任の補助が副担任だという考え方はすごく差別的
>だから若い副担任はこき使われ、年配の副担任は蔑まれるのかな?
そうですね。生徒が「なあんだ、先生は副担なの」っていう子がいます。クラス会にも呼ばれませんね。
昔は卒業式の後、副担と担任が生徒に「教室に来てください」って言われて感謝の言葉をもらったりしましたね。いつの頃からか、担任と副担って大きな違いになりました。担任がしんどいので、副担をねたみ始めた頃からでしょうか。教員が締め付けられると、本来の闘いのベクトルの向きではなく、おかしな方向に作用が働くようです。これが哀しいかな、東京の学校の実態でしょうね。
ののはな
2010/07/15 22:56
◇hiroさん♪
オナガが声は悪いけれど、姿は結構おしゃれなのですよ。スタイルもいいし(笑)。
そうですよね。高校の数学って先生自身も解くことしかできないのではないでしょうか。なぜそうするのか原理原則が理解できるように教えてくれる先生はいなかったように思います。で、わたし自身も高1のころは悩みました。で、まずは計算力をつけてから、自分であれこれやってみて納得することにしました。計算力がないと、途中で嫌になるのです。今は高校生を教えるにはどうしたらいいのか、どきどき考えるようになりました。視覚的にこんな図を書いたらどうだろうかとか。こんな喩えにするとどうだろうかとか。教え方の方法まで研究する教師が高校にはいないのでは。わかる子にだけ教えればいい、こんな先生が多かったように思います。
頭の違いって言えばそうかもしれませんが、そんな数学脳を小さな頃から育てて来なかったという方が正確かもしれませんね。
わたしは、小学校時代、面積の概念を埋め尽くしや分解などで考えるようにたっぷり試行錯誤する時間をくれたよき師に出会っています。その先生のお陰で今があると思っています。
教師になってから、その先生に会いに行きました。下不自由児の養護学校で、教頭になっておられました。「あなたたちのクラスに肢体不自由な○○君がいただろう。あの子にあった教育があるのではとこうした学校に来たけれど、障害を持っているからと社会から隔離されたこんな施設では、帰って家にいる子どもよりも刺激が少なくて、育つものも育たない」と話されたことを思い出します。立派な先生でしたね。
ののはな
2010/07/15 23:08
神奈川でも副担は事務作業をします。学期の初めや終わりは担任はクラスに張り付き状態だから事務処理ができない。その間に時間のある副担が協同でやる。それは当たり前の援助。担任にしか出来ない仕事に専念できるように援助すると言う意味。要は役割分担。学年便りなどは学年集団を組織するためのそして親とも連携するための手段。クラスの生徒にかかりっきりの担任ではできません。だから主任など担任を持っていなくて全体的視点で見られる人の仕事。もちろん「担任こそ教師の華」という感覚や、「担任できない教師はゴミ」という逆の感覚もあった。こういう独善や蔑視をさせないところに職場集団の力を発揮するためにも組合はあるのだと思います。組合は共同体。こういう健全さが右派とか体制べったりとか呼ばれたところに残っていて、左派とか体制批判派とか呼ばれるところにないところが、逆説的な意味での戦後の悲劇。右派組合は余計な軋轢を避けるから、教育委員会や校長とも衝突しない。学校の外で大枠の妥協をしてしまうからその分、職場に嵐が吹かず仕事に専念できるよさがあった。組合運動も政治運動も、暮らしを支えあう仲間を強くして世の中を変えるという発想がなかったのですね。ただ政治を変えさえすれば世の中は良くなるという単純な発想。だから教師の組合であるにも関らず、意外と教育内容や教え方の共同研究も乏しかった。このため教師は個人として生徒の前に立つしかなかった。仲間の支えがなかった。左派と言われる組合ほどそうなっていったのが間違いだったのだと思います。職場が荒れたのは、単に権力(文部省・知事=教育委員会=校長)の攻撃・教師への管理強化だけではなかったという視点が大切だと思います。
コアラ
2010/07/15 23:45
◇コアラさん♪
>こういう独善や蔑視をさせないところに
>職場集団の力を発揮するためにも組合はあるのだと

コアラさんの言われるとおりですね。うんうんとうなづいています。
そういえば、わたしが教師を続けようって決意した学校は、手作りの広島修学旅行をやっていました。太郎次郎社の「ひと」って雑誌にその実践が載っていて「この学校へ行こう」と考え、今の区の教育長のところに挨拶に行き、異動させてもらいました。いい時代でした。そこではなんとその修学旅行を始めた学年に配属され、すばらしいスタートが切れました。思い出すと涙が出そうです。この時の子らのクラス会がこの夏にあるので一度思い出をまとめて書こうかなって気になりました。
ちょっと時間をください。やっと夏休みです。仕事が終わって、ボーナスがでて(久しぶりだったのでうれしかった)、孫が実家に帰っていて、今日はお出かけです。ではまた。
ののはな
2010/07/17 10:59
丁度私が高校生の時、第二土曜日が試験的に休みになり
授業時間が少なくなるとかで芸術の科目が減ることに
音楽・美術・書道の先生達が反対の署名をしていたのを
思い出しました。
ホント、今の教科書を見たらびっくりしますね!!
算数の教科書もカラフルで絵ばかり!
なんか全体的にのんびりしているし・・・・
倫音
2010/07/17 22:20
◇倫音さん♪
こんばんは。ご訪問ありがとう!!
そうですか。高校生のときに、第二土曜日が試験的にお休みですか。減る教科に当たったらさあ、大変ですよね。わたしは昔1週に2時間図形だけの授業をしたことがあります。数学を数量と図形に分けて指導したのですね。さあ1週間に2時間しかないと行事があったりすると、へたするとまるまる1週間授業なし。おさらいばかりやって前に進まない。ましてこれが1週に2時間しかない教科が1週に1時間となったらどうなるのでしょう。今中学校ではそうなのですが。そのために技術科などは1学期には通知票の評価が出せません。そんなに授業が進んでいないからです。
たしかにお子様の教科書見てびっくりされますね。
先日、公園で孫と遊んでいたら、若いママから声がかかりびっくり。なんと十数年前の教え子。ふたりの子どもを遊ばせて・・・ああもうそんな年になっているんだって。倫音さんも子育て真っ最中ですね。ダンスをなさっているすてきなお嬢ちゃんのママなんですね。
ののはな
2010/07/17 23:00
ご無沙汰してしまいました
ちょうど。。ののはなさんが激動の教員生活を強いられていた頃。。
我が家の子供たちも変動の渦中にいたころかしら。。ちょっと後位だったでしょうか。。親の魔女はいつも教育界に怒っておりました
今思うと、戦中?とでも思う位の統制の中で、身動きできなくされた教員、それと同時に旨くのりきれる思慮の無い教員にも怒っておりました
当然親も暗雲の立ちこめる学校に子供を送り込むしかないことにも。。
一体なぜあのような状況になったのか?とののはなさんの記事を読み、流れがつかめたような気がします
今随分のびのびとされている様子のののはなさんをみることができ、嬉しくなります
少しは教育現場は良くなったのでしょうか
一人一人に真摯に向き会うののはな先生に、子供たちの明るい笑顔を見たような気がしています
コケ魔女
2010/07/21 00:04
オナガは団体でヒナを守ると訊いたことがあります。
ヒナの画像は珍しいですね。周りの親たちがギャーギャー
喚いて小さなヒナを守っているように思います。
kagi狸
2010/07/21 23:29
◇コケ魔女さん♪
そうですね。文科省ほど保守的なところはなく、わたしはなんでこんな3Kの職場に勤めたのかと後悔ばかりしていたような。それがあるとき、高校時代の同級生に「なんでお前が教師なんかやってんだ」って言われて、逆に自分を見つめるチャンスになって、「すきなことやっているのだから」って開き直ることができるようになりました。しかしはじめてHPを作ったとき、息子に「ネット上では年齢と職業は絶対に明かさないように」って忠告をもらいました。しかし教師である自分を否定したら、どうにもならない。どんなに嫌われ者の職業でもわたしはそれで生きている。じゃどうしようか。ある親からは「先生が校長になればいいのよ」なんて言われたけれど、校長なんて役所の係長ぐらいだからそんなに権限ないのよ、って言ったらびっくりされちゃた。まだ自分のなかで総括しきれていないのですが。学校を離れて普通の人になってからほんとうの姿が見えてくるのかなって思っています。今はまだそんなに癒えていない。歯医者さんには退職してからずいぶん顔色いいねって言われる。首のこりもなくなったねって。この歯医者さんは全身から歯をみてくれるのです。
ののはな
2010/07/24 23:10
◇コケ魔女さん♪続きです。
今、学校現場そんなによくないです。教育って仕事を役所の人間は簡単に考えている。たしかに何年か実践すれば、ある程度適当やりこなす要領の良さがあれば、つらくない仕事でしょう。しかし、ほんとうにそれが教育をしていることになるのか疑問な面もあります。職人芸のようなところがありますが、評価がすぐ見えないってのが教育です。運動会や文化祭で生徒がいい演技をしたから・・・テストの結果が良かったから・・・コンクールや部活の大会でいい成績とったから・・・こういうことがほんとうにいい教育の結果でしょうか。その陰にはたくさんの犠牲もあるのではないでしょうか。それを乗り越えて成長した生徒はいるでしょう。それは数値で見えるものではないでしょうね。
たとえば、クラスにとってもひどいワルな子がいたとします。その子がいなくなったら、また代わりのだれかがその役をします。ひょっとしたら、そういう隠れ蓑がほしいだれかがいるのかもしれません。そういう子と関わることからはなんのいい数字も生まれません。長くなりました。またにしますね。こんなことですぐ熱くなってしまうわたしがまだいる。
ののはな
2010/07/24 23:10
◇kagi狸さん♪
おひさしぶりです。こんばんは。オナガって子育てをみんなでやるのですか。それであんなにうるさかったのですね。校舎の上から覗いたのですが、うまく写真撮れず、門の外まででて撮りましたが、逆行でうまく撮れませんでしたが、珍しいのですね。
ののはな
2010/07/24 23:13

コメントする help

ニックネーム
本 文
意味なき別解をもとめて 静音の小径/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる