静音の小径

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<<   作成日時 : 2010/10/31 01:07   >>

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Chet Baker best  my funny varentine(instrumental)

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小紫式部の色の深まりとともに
秋は過ぎてしまった

今日は移動時間の途中で
お茶する時間があった
喫茶店の喧噪のなかで
姜尚中(カンサンジュン)さんの「在日」を読む

<なぜ わたしは”在日”として生まれてきたのか
       一世たちはどうしてこの日本にいるのか>


この素朴な疑問に
だれがきちんと答えられるだろうか

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80年代
戦争を許さない女たちの会で
高さんというすてきな女性にであった

仲間の授賞式の日
彼女はきれいにチマチョゴリを着こなしていた

背が高く
はっきり自己主張する彼女は
いつもみんなの中心だった

わたしたちは同じ町に住んでいた
彼女と同じトートバックを持っていることが
急速にふたりを近づけた

町で何度か出会った
彼女は韓国家庭料理店を
弟さんとふたりで営んでいた

職場の歓送迎会で
何回かお世話になった

大蒜の香りの強い
蒟蒻の炒め煮の味を
まだ覚えている

画像 80年代
 わたしは指紋押捺に
 反対する人たちと
 区役所にいた

 学校には
 「朝鮮人は国へ帰れ」
 と叫ぶ少年がいた
 彼は在日二世だった
 彼の心の屈折に絶句した


 あの子を含めた子どもたち数人で
 朝鮮人学校を訪問した

 なぜ朝鮮の人が日本にいるのか
 わたしの知りうるかぎりの話をした



こんな授業をする廊下には
目付役の同僚が聞き耳を立て
校長にチクッていた



画像 そんなある日
 かの高さんから重い手紙が届いた
 彼女の心のつらさが書かれていた

 言葉を選んでわたしは返事を書いた
 しかし彼女のこころに届かなかった

 たった一輪庭に咲いた薊
 その花がどんどん力をなくしていく
 その姿を見ながら

 この薊のようにすくっと立ち
 気高い精神をもつ彼女が
 なぜわたしにあのように心の内を
 吐露しなければならなかったのか
 と、また考える


<それにしても、過去のしがらみがこれほどまでに重いものだとは・・・ときおりため息がでてしまう>

<植民地支配という心身に及ぶ深い「精神的外傷」をこおむった民族がそのトラウマを必死になって除去しようと格闘しているにもかかわらず、その苦渋に満ちた葛藤のドラマにいささかの痛みも共感も抱くことのない「加害者」がいるとすれば、その「加害者」に向けて新たにナショナリズムの神話をねつ造して自分たちを主張したいという誘惑に駆られることは、決して理解できないわけではない>


姜尚中の「在日」のなかのこの文章に出会った瞬間
これなんだ
高さんのこころのなかで
悶々としていたものは

こうした加害者にであって
心がきりきり痛んでいたのだ
とわたしは歯噛みする

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<韓国や北朝鮮のナショナリズムはすべてみな、そうした願望を反映している。そのようなナショナリズムへの反発から「加害者」はより排他的になり、ひたすら自らの心地よい記憶だけに立てこもろうとするのだ。ここに日本と朝鮮半島との深いミゾがある。そして「在日」は、そのどちらかに帰属すべきか、絶えず二者択一を迫られ、不安に脅えなければならない。しかも同じ民族でありながら、南北に分断されているのだから、話はもっと複雑だ>

そうなんだよね
これだけ複雑な在日の高さん
具体的には書きようがないほど
悩みは深かったのだろう

それでも書かずにいられなくて・・・
それをちゃんと理解して受け止め
ボールを返せなかったわたし



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 それから数年後
 彼女は癌を宣告された
 彼女の生き方は潔かった

 自分の死後のことも
 きちんと自分で始末した
 財産はすべて
 お世話になった劇団に寄付した




一時退院の日、町で彼女にあった

いつものように明るく微笑んでいた
あれが最後だった

彼女が住んでいた場所には今はマンションが建ち
劇団関係の人が出入りしている

近くにあるラーメン屋さんにいくと
ときおり劇団の人にあう
その話を遠くに聞きながら彼女を思う


<エドワード・サイードは「知識人とは何か」の中で知識人とはつねにアマチュアであると言い切っている。・・・父や母が「在日」になったとき、彼らはアマチュアとした生きていかねばならなかった。フツーの日本人が知っていることがわからない、完全なアマチュアだった。・・・「在日」とは、多数者の日本人、言ってみれば「インサイダーとしての日本人の中にどっぷりと浸からず、どこかで「アウトサイダー」的な面を保ち続けていることを意味している。・・・そう思えば、父や母、おじさんたちには、ただ悲哀があっっただけではない。底なしに明るい笑いと屈託のないたくましさがあった。それはきっと、そうした歓びとどこかで通じ合うものだったに違いない。」>



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そう
わたしは高さんによく叱られた
夫のことを「うちの主人が・・・」
と言ったとき

在日の人にとって
「主人」という言葉は
どれほど重いものだったか
主人と奴隷か

戦時中
日本に強制連行され
たこ部屋のようなところで
重労働させられ
ろくに食事も与えられず
見殺しにされた多くの一世


<非力な少数者の悲哀。それが、わたしを苛んだ。きっと一世たちもそうだったにちがいない。自分たちの境遇を恨めしく思っても、どうすることもできない現実。地団太を踏みながら天を仰ぎ「アイゴー(哀号)」と泣き叫ぶ母や一世たちの姿が何度も浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。彼らの心の奥深くに仕舞いこまれた悲哀の情はどれほど深かったろう。わたしはやっと彼らの悲しみ深さを身をもって知るようになったのである。>


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コメント(18件)

内 容 ニックネーム/日時
躊躇するコメントになるだろう
 遠い過去なのに、鮮明に蘇る近い過去
変えられない過去だけに自分を変えるしかないが
そんな生易しいものではない気がする深い心の傷
しかし、乗り越えなければならない現実が目の前にある以上
強く生きる術を身につけなければならない 同時に
私達に植え付けられた偏見も変えていかなければならないが
それだって、同じ心の傷だとおもう
路は遠いけど、同じ人間だから個人同士は通じると思うよ(#^.^#)
千水
2010/10/31 10:05
在日二世、三世の苦渋ですね。
我々が軽々にコメントできない重さを感じますね。
この夏には、立命館大学の教授の「日韓併合100年」について、在日韓国人のこの教授の穏やかな話し振りに感激したものですが・・・
彼は、韓国政府にスパイ容疑で逮捕投獄された人でもありました。
日本人の我々には「しっかりせいよ!」と叱咤激励されている風に聞こえました。
Tatehiko
2010/10/31 15:37
私の夫は20年前にたまたま一緒に出かけた最初の韓国への旅から、韓国語の勉強を始め、今では毎年リュック一つで韓国の田舎にふらっと出かけて行きます。たくさんの本を買って帰り毎日韓国の勉強をしています。日本人である夫にとって韓国は心の故郷のようなものになったのだろうと想像しています。
そして私の若い友人の中に何人か在日韓国人の二世の人がいますが、まったく韓国語を話せない人もいて、彼にとっての母国とは・・・と考えさせられることもあります。一世の親の苦労する姿を見て育った彼らにとって、ここの地はどううつっているのでしょう。。
韓国には恨(ハン)という思想のようなものがあって、これは単に恨むというようなことではなく、もっと深い運命のような心のため息のようなもののようですが、私自身、深く理解しているとは言い切れなくて・・・まだまだ理解が浅いようです。。それでも折にふれ学びたいと思っています。。
komichi
2010/10/31 15:43
2つの祖国・・・
しかし、長年日本に住んでしまうと、その祖国は複雑だと思います。
特に言葉も話せなくなってしまっても、「在日」は付きまとう。

何回か韓国に行きました。
表面的には、何もないのですが、その底には大きな溝があるようです。
また韓国人と結婚した日本女性が通訳についたこともありました。
そうした話を聴くと、なかなか単純な応えはでそうにもありません。

こちらでは太平洋大戦末期に戦況が悪くなり大本営を松代に移す計画が
ありました。
政府機関・皇室を移す、つまり首都移転です。
そのために、松代の皆神山、ノロシ山、象山の三つの山の地下に
おびただしい地下壕が掘られました。
そのために推定七千人の朝鮮人が強制労働させられています。
繰り返してはならない歴史がのこされています。
そうした歴史に、目をつぶることは日本人としても出来ませんね。

下の記事にコメントできませんので、ここでちょっとだけ・・・

素敵な花や蝶の散歩でしたね。
心和む風景です。
2枚目の蝶はヒメアカタテハですね。
渡りをする蝶ですね。
オコジョ
2010/10/31 19:44
 日本国および日本人が、朝鮮国および朝鮮人に対して何をしたのか。学校の歴史の授業ですらきちんと語られていないのですから、多くの日本人がそこから目をそむけてきたわけです。でも身近なところにその痕跡がある。僕が最初に勤めた学校から3`ほど離れた山の地下には大きな地下壕が掘られていた。私鉄の新駅建設でこれは壊されたけど、ここも大本営移転先の一つだといわれていました。その大本営移転先の近くの谷から学校のあるところまで、ここにももう一つ長大なトンネルが掘られていた(これは今もあるはず)。これらの地下施設を掘るために多数の朝鮮人が強制労働されていたといういいつたえは、戦後40年以上たった時でも土地の人々に語り伝えられていました。ちゃんと調べようと思っていてまだ果たしていないのですが。
 日本人はこうした歴史をきちんと直視すべきですね。
コアラ
2010/10/31 22:59
◇千水さん
コメントしずらい記事でしたね。ごめんなさいね。姜尚中の「在日」の読書記録でもと思ったら、いろんな記憶がどんどんでてきてしまって。知らなかった過去にどれだけの生徒の心を理解できずに・・・傷つけてしまっていたのか。
ここ数年の韓流ブームがそんな偏見も吹き飛ばしてくれるといいな・・・と。
ののはな
2010/11/04 20:56
◇Tatehikoさん
立命館大学で「日韓併合100年」についての講演会でもあったのでしょうか。あの学校はおもしろい取り組みをいろいろしているのですね。そういえばわたしは昔一応受験したのですが・・・教授陣にすばらしい人たちがおられるのですね。惜しいことをしました。70年代、韓国の政権はちょっと恐ろしいものでしたね。あの頃よく韓国の本を読みましたね。
>韓国政府にスパイ容疑で逮捕投獄された人
そうですか。筋金入りの方ですね。Tatehikoさんはすてきな生き方をされていますね。
ののはな
2010/11/04 21:02
◇komichiさん
そうだったのですか!すばらしいお連れあいさんですね。韓国がこころのふるさとね〜。なんだかすごくすてきなことのように思います。
ハングルは日本人には近い言葉なのでしょうか。義理の母親も昔朝鮮語の勉強をしていましたね。お寺から木管が出てきてそれによると、ご先祖様は韓国から来たらしいと・・というのが動機でしたが。
そうですね。一世の苦労というか文化の違いを受け入れられなくて、心が卑屈になっている子どもっていましたね。そういう意味では祖国に誇りを持たせる朝鮮人学校は子どものアイデンティティをはぐくむには必要ですね。日本に勝手に連れてきて、言葉も奪っておきながら、戦後もう日本人ではないとして、指紋押捺しなきゃいられないっておかしな話でした。
「恨」ですね。意味のある言葉ですね。わたしの知人は自分の作品集のタイトルにつけていましたね。わたしももっと真摯にまなばなければ。
ののはな
2010/11/04 21:12
◇オコジョさん
韓国に行かれたのですか。在日ではなく、外国で日本人男性と出会って、結婚して子どもが生まれて、日本に来たという韓国の女性を、母親に持つ子どもの担任をしたことがあります。行事のとき学校にいらしたらって話したら、子どもが絶対に来ちゃいけないっていうから・・・と。えっ?なぜ?理解できなかった。その子にとって母親が韓国人であることがばれるのがいやだったようです。背も気位に負けないくらい高いお母さんでした。それから何年もおつきあいをしていたのですが、とうとう商社マンで外国にいることが多い日本人の夫と離婚され、引っ越されました。日本人の中にある排他性にあのときは愕然となりました。
松代の大本営のことはよく聞きました。実際には一度も行ったことがありません。
>松代の皆神山、ノロシ山、象山の三つの山の地下に
>おびただしい地下壕が掘られました。
全く愚かしい日本の政府でしたね。というか日本陸軍というべきなのでしょうか。
>七千人の朝鮮人が強制労働
そうですね。この歴史を風化させないことが、日本を愚かしい道に進ませない必須条件ですね。松代にも一度行ってみたいです。実際自分のこの目でみたいです。
コメント覧を閉じることも書かずにたぶん、コメント返しもできないだろうからと、コメント覧がなくてごめんなさいね。
母がまた次のステージです。日替わりメニューみたいです。で、いろいろあってほんとうは田舎に行って家の売却の手続きする予定だったのですが、いけなくなって、キャンセル料だけ払いました。
>ヒメアカタテハですね。渡りをする蝶ですね。
そうですか。ヒメアカタテハというのですか。はじめて知りました。渡りの途中だったのですね。またいつか会えるでしょうね。
ののはな
2010/11/04 23:27
◇コアラさん
ほんとうに近現代史から歴史の授業を始めた方がいいのではと思うくらいですね。地理だけは身近な地域から・・・となっているのに。で、学校で日本史も世界史も学んだことのないわたしもつい古代から学習をはじめていつも挫折しています。
コアラさんの最初の学校の側にもあるのですか。はじめてしりました。
>大本営移転先の近くの谷から学校のあるところまで、
>ここにももう一つ長大なトンネルが掘られていた(これは今もあるはず)。>これらの地下施設を掘るために多数の朝鮮人が強制労働されていたという
そうなんですか。母が戦前、鶴見の軍需工場の社宅に住んでいた頃、近くに朝鮮人の住んでいるところがあって、そこの子どもたちがよく遊びに来たって言ってました。
コアラさん住所とか、わかったらいつか教えてくださいね。コアラさんが調べ切れていないのにわたしにはなにも予備知識がないのだからきっとわからないことだらけと思いますが、それでもいつか・・・。そう思わないといけないって今はそんな気持ちです。忘れてはいけないことがあると。
ののはな
2010/11/04 23:36
 大本営のための地下壕があったという場所は、川崎市麻生区の小田急線新百合丘駅のところです。住所は多摩区百合丘・高石と麻生区上麻生の中間の山。昔は「半郡(はんごり・多摩区は武蔵に国の橘樹郡、麻生区は都築郡なので二つの郡にまたがっているという意味)」という地名の山だったそうな。そして長いトンネルがあったという場所は、小田急線柿生駅側の郵便局の裏から山を一つ越えて、麻生区上麻生の真福寺地区まで続く尾根の下。双方の入り口は20年ほど前にはあったと聞いていますが、調査しないうちに転勤でそのままになりました。この地域は陸軍の演習場があった場所の北端で、西には弾薬庫があった子どもの国、東には陸軍登戸研究所(謀略機関・贋金づくりや人体実験をしたところ)もありました。そういう軍施設の集中したところ。
 ちなみに韓国語・朝鮮語と日本語は文法構造が全く同じですので、昔は同一言語だったのではないかと言われています。
コアラ
2010/11/05 12:09
ノコンキクとカントウヨメナですね?
美しい!
戦争は嫌ですね。
火の中逃げましたから・・・
潔くがんを生き抜いた。
必ずある最期を潔く迎えたいと思いました。
中途半端な文で失礼しました。
ハッピー
2010/11/05 16:16
先日はコメ有難うございました。
あまり、甥っ子が、毎年、韓国にホームステイしてるんですよ〜。
甥っ子の家も、ホームステイ受け入れてますね〜。世代が変わって、若者たちは屈託なく、仲良しですね〜。     
夕顔とひまわり
2010/11/06 22:03
◇コアラさん♪
早々に教えていただきありがとうございます!
>川崎市麻生区の小田急線新百合丘駅
半郡呼ばれていた山ですか。
>小田急線柿生駅側の郵便局の裏から山を一つ越えて
>麻生区上麻生の真福寺地区まで続く尾根の下
そのあたりに土地勘のないわたしには、今は、宝の暗号の地図を手に入れたような気持ちです。
>陸軍の演習場があった場所の北端で
>西には弾薬庫があった子どもの国
>東には陸軍登戸研究所(謀略機関・贋金づくりや人体実験
そういう場所なのですか。
今すごく戦争の時代を身近に感じます。
90歳になった母、その母の青春の時代のこともっと知っておくべきですね。
>韓国語・朝鮮語と日本語は文法構造が全く同じです
>昔は同一言語だったのではないか
そうですか。日本人の中には朝鮮の人と同じ顔かたちの人が多いですね。
南方から来た人はちょっと違いますが、昔日本人はこの二つの系統があるってきいたことがあります。
コアラさんに訊くとなんでもわかってしまうのですね。今回もまたありがとうございますした。きっといつかいい返事が書ける日がきますように。
ののはな
2010/11/07 23:50
◇ハッピーさん♪
そうですね。野菊の名前はむずかしいのであえて覚えないようにしているわたしですが。シラヤマキクもあると思います。今、庭はこうした野の菊で賑やかです。もうすぐリンドウが咲き始めます。今日は1日庭仕事でした。
こうして秋って時々センチメンタルになります。コメントありがとうございます!
ののはな
2010/11/07 23:53
◇夕顔とひまわりさん♪
なかなかPCに向かえないのですが、ときどき夜にぶらぶらするのが楽しみです。わたしにとっての世間です。
甥御さんが外交官ですね。すばらしい。こうして昔の恨を溶かす民間交流が大切ですね。すてきなことです。日本の未来が明るくなるようで、うれしいですね。これからもよろしく!
ののはな
2010/11/07 23:56
日本人の成り立ちは、南方からきた縄文人の子孫と、南方から中国華南地方(黄河と揚子江に挟まれた地方)に移り住んだあと朝鮮南部を経て日本へやってきた人(これが弥生人)の並存と混血で成り立っています。そして紀元前3世紀(最近の研究では前10世紀という説も)から紀元後6世紀ぐらいまで滔滔と朝鮮南部の人たちが大量に移住した結果、縄文系と弥生系の人口比率は、9対1程度になったという学説もあります。つまり日本人1万人のうち9000人は朝鮮南部から来た人の子孫ということ。戦後直後の全国的な人類学的調査によれば、人類学的に朝鮮系(弥生系)の人が多いのは日本海側と瀬戸内海近辺。縄文系の人が多いのは、関東・南四国・南九州・沖縄でした。京都は弥生系。アイヌと沖縄は縄文人の直系。だから日本人には朝鮮人と区別の付かない人が多いのです。天皇家はその典型ですね。このあたり私の徹底検証新しい歴史教科書シリーズの古代篇に書いてあるので(言葉の文法構造が同じことも)、一度目を通してみてください。
コアラ
2010/11/08 13:11
◇コアラさん
日本人の成り立ちをおさらいしていただきありがとう!南方からきた縄文人と南方から中国河南地方、朝鮮南部を経てやってきた弥生人の混血なのですね。縄文人:弥生人=1:9ってことでしょうか。圧倒的に朝鮮経由の人が多いのですね。なにやらユダヤ人だったと言われていてヒットラーのこと思い出してしまいますね。はい、もう一度学習し直しですね。すぐ忘れちゃうのだけれど・・・とほほ  追伸:家庭の事情でブログを移動させるかもしれません。新しいブログを作ったらまた連絡しますね。いろいろ価値観の異なる人たちとも仲良くしていかなければならないので、わたしの非常識もぐらぐらです。
ののはな
2010/11/13 12:57

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